蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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お湯または水の話

若い頃、もしくは田舎にいた頃は気付かなかったことがたくさんある。今さらながら驚くことも多い。都会育ちの宅の主人の視点を通して新たに知ったり、当時と同じことを今改めて体験して再認識したり、気付き方は様々。

その中のひとつに、「水道水または水道水で作ったお湯は疲れる」というのがある。何を言っているのかと思うだろうが、水道水って疲れるのだ、飲んでも浴びても浸かっても。

沢の水

私はカルキなどがほとんど入っていない天然に近い水、もしくは温泉のお湯で育ってきた。そうした水は不思議と疲れない。田舎にいた時はお湯で疲れるなんて考えたこともなかった。実家を離れてはじめて、シャワーのお湯だけで肌が荒れるという経験をしたし、お湯は疲れるんだなってことも知った。

水またはお湯を飲んで疲れる、という感覚が理解してもらえるかどうかわからないけど、お風呂なら多少は理解してもらえるかもしれない。質のいい温泉って、わりと長く浸かっていても湯あたりしにくい。そういう感じのもうちょっとカジュアルな感じというか… うーん、難しい、感覚を言語化するのが。

311以降、実家が引いていた水源が枯れてしまったみたいで、いわゆる水道水というやつを引くようになった。やっぱり水の肌当たりがなんかちょっと違ってしまった。だから最近は、実家に帰省する際は必ず地元の温泉に入るようにしてる。

やはり温泉はいい。温泉というのはよいお湯なのだ。

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