蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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2016年、新たな地平

2016年、明けましておめでとうございます。このブログで新年の挨拶をしはじめて6年目。ちょうど起業をした頃くらいからだけど、ここまであっという間の月日だったなぁ。

この5年はボジョレヌーボーばりの出来

この5年のブログを読み返してみると、どの年も「つらかった」らしい。もちろん楽しいこともあったが、起業にともなう悩みの深さが影響し、まるでボジョレヌーボーのようにつらさレベルが更新された。毎年最高の出来を記録しているのではなかろうか。

特に2014年は今考えてもひどく苦しかったなぁとトラウマレベルで思い出す一年で、2015年の年始ブログでもそのことについて言及している。つまり50年に一度の出来に匹敵する当たり年だった。我慢に我慢を重ねたうえで、ゼロからの出発を誓った2015年。

2015年は、そうやって動いてきたことをベースにしながらも、ゼロからの出発のつもりで考えている。ゼロなら最初は掛け算ができない。足し算で積み上げていくしかない。積み上げは(当たり前のようだけど)自分が積み上げた分しか積み上がらないので、地道に地道に積み上げていこう。

しかし、2015年はボジョレーばりに想像を超えてきた。ゼロからだと覚悟していたスタートラインが、だいぶマイナスだったことが判明した年でだったのである。言うなれば100年に一度の当たり年。

足しても足してもプラスにならない。無理やり掛け算するとマイナスが増える恐れがある。そんな中、やるべきことを淡々とやってこられたことが自分でも信じられないくらい。よく堪えたな、踏ん張ったなと自分で自分を褒めてあげたいほどに歯を食いしばり続けた。

外から見たらそんなふうには見えなかったかもしれないけれど、2015年はそんな年だった。

幸いなのは、つらい状況の中でも何かを楽しむ気持ちがなくならないことだ。私の持つ「生きる力」のひとつだと思う。2016年も、何があってもすぐに笑って顔を上げられる力は引き続き鍛えていきたい。

2016年は伝える力をつけたい

積み上げて踏み越えることを意識し、きれいな理屈よりも踏み出す一歩を重視した2015年。2016年はそこからひとつ突き抜ける年にしたい。積み上げて踏み越えた先に、今までは見えなかった新たな地平が広がっているのを感じる。私はもうすこし先まで進んでみたい。

そのために必要なことのひとつとして、汗を流して耕してきた自分の畑で生まれるものたちを、誰かに伝えたり手渡したりする力をつけたい。具体的に何をするかのプランが決まっているものもいくつかあるが、具体的なことについては都度細かく軌道修正をしていくだろうし、大まかな方向性だけ決まっていればいい。

お不動の天井絵

自分で積み上げる力はついてきた。自分が積み上げたものを自分が踏み越える勇気も、誰かに踏み越えてもらう勇気も、必要な時にもらえる環境にいる。突き詰めれば、伝える力も積み上げるもののうちのひとつでしかないのだし、今までどおりマイペースに前進していければよいのだろうなと思う。

特別新しい自分など望まない。ただひたすらに、やってきたことを信じて、新たな地平に進みたい。
2016年も、Hitoyam に巻き込まれてくれる方々と、よい時間を過ごせますように。

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