蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:飯坂(日本)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の24日目です。

旅にははじまりがある。旅には終わりがある。私の旅がどこからはじまったかといえば、生まれ故郷なのだろうと思う。

春・桃の花

私は福島県福島市にある飯坂という街で生まれ育った。

春には桃の花が咲き、夏には山の緑が映え、秋には燃えるような紅葉と伝統のお祭りがあり、冬はときに雪深く厳しい。飯坂には温泉街としての性格と、果樹の産地である性格のふたつの顔がある。

生まれたときがはじまりかもしれない。街を出たときがはじまりかもしれない。きっとたくさんのはじまりがあって、それが連なった先に今がある。生まれてから大人になるまで、いちばんたくさんのはじまりを経験した街が飯坂なのだ。

夏・摺上川上流

ここが旅のはじまりだったのだと静かに思えるようになったのは、主人の目線を通して街を見たことがきっかけだった。若い頃は好きになれなかったことも、主人の目を通した景色をひとつひとつ聞いているうちに、違って見えてきた。

何かひとつが違って見えてくると、するするっと他のことも違って見えてくる。最初はゆっくりだったけれど、だんだん加速がついてきて、ぱーっと目の前が開けていくようだった。

きっとそれが、夫婦としての旅のはじまりだったのかもしれないなと思う。

初秋・新十綱橋から見る摺上川

ひとりだった旅の日々が、ふたりになる。ときどきひとりで旅に出ることもあるかもしれないけれど、必ず帰る場所ができる。そうしたら、旅はもっと楽しくなった。

一緒に行く旅もおもしろい。帰って過ごした時間を一緒に話すこともまたおもしろい。世界は狭くなったようにも感じるし、広くなったようにも感じる。

冬・熟れる柿の実

かつて私が帰る場所だった飯坂は、歴史ある温泉街として、懐かしい景色がある場所として、訪れるための場所になった。

「故郷に帰る」という言葉を当たり前に使うけれど、今はもう本当の意味で「帰る」というニュアンスを含むことはなくなった。私が帰る場所は他にあり、故郷に帰ることもひとつの旅になったのだ。あらためて思えば不思議なことだ。

飯坂の上からの景色

飯坂には、家族が住んでいる限り、これからも何度も何度も行く。ずっと先の話かもしれないけれど、家族が住まなくなった後はどうするのだろう。ときどき考えてみることがある。

考えてみても、そのときになってみないとわからない。きっとそのときは、また違う旅がはじまっているのかもしれない。だから旅はおもしろい。


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