蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:パリ(フランス共和国)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の23日目です。

大人になると、ひとつずつ「はじめて」が減っていく。大きな「はじめて」も小さな「はじめて」もある中で、はじめてひとりで海外に渡ったときのことは強く心に残っている。

はじめて単身で海外に渡航した行き先は、フランスだった。直行便でパリに入り、陸路でリヨンマルセイユカリー=ル=ルエニース、カンヌ、ついでにモナコにも立ち寄り、またパリに戻るというルートを辿った。

朝の街

フランス行きのきっかけは、フレンチ・ポリネシアだった。ボラボラタハアランギロアの人々と交流したくてタヒチ語を勉強したいと思い、しかし日本語からダイレクトにタヒチの現地語を学ぶ手段がほとんどなかったため、公用語であるフランス語からはじめた。

フランス語を学びはじめると、フランスの文化にどんどん興味が湧いてくる。もともと好きな本や映画が多かったこともあり、すこし長めの期間の滞在をすることにしたのだった。

また、フランス語の勉強を通じてできたパリの友だちに会いに行くという目的もあった。彼らが日本に来たときにも連絡を取り合って、一緒に観光したりもした。まだFacebookなどもない頃の話だ。

カフェの中の景色

ここまでのシリーズでも何度も書いてきたように、川のある景色が好きだ。セーヌ川の両岸を、ひたすら歩く日々を送った。おいしいバゲットをかじりながら、好きな音楽を聴きながら、のんびり写真を撮りながら、心ゆくまで歩いた。

いかにもパリと言いたくなるような景色の中を歩いていると、たまらなくひとりであるという気持ちになり、心地よかった。

異邦人であることを自覚しながら、それを味わい尽くす愉悦。はじめてひとりで訪れたパリで、強く強く身体と心に刻まれた。それ以降の私の人生に様々な影響を及ぼしているのだと思う。

ショーウィンドウの中の猫

この旅行中に残した膨大な自分用の手記を、今でもときどき読み返す。今になっても痛いほど共感できる内容もあれば、微笑ましく思い返される内容もある。手記の大半は、他愛もない日々のひとコマだ。たとえば、こんな内容の。

ブーローニュの森の近くを歩いていたとき、見知らぬ男性が私に声をかけてきた。英語で「フランス語話せる?」と訊かれて「話せない」とフランス語で応じる私。

その矛盾に気付いているのかいないのか、それともそんなことはどっちでもいいのか、男はなおも英語が話せるかと訊いてくる。いつまでもまとわりつかれては困るので、英語は話せる、としぶしぶ答えた。

男は仕事でパリにいるがフランス出身ではないこと、知り合いがすくなくてさびしいことなどを勝手にしゃべった。トーキョーから来たのかと訊かれ、そうだと答える。

トーキョーはいい街か。わからない。コーヒーでもどうか。行かない。僕はさびしいのだ。私はひとりで歩きたいから、もう放っておいて。男はすこしだけ残念そうに「わかった、よい一日を」と言った。

他人にとっては価値のない手記、意味のない手記だったとしても、当時の手記は私にとって財産とも呼べるものだ。当時を生きた私が当時以降の私に残したコンテキストレスな神話とでも呼びたいような存在になっている。

デモをする学生たち

早いもので、最期にパリに訪れたときから、もう10年近くが経つ。もちろん、そう遠くないうちに再訪したい。

世界の終わり的安らぎは、この通りの上にあって、今横でパンをついばむスズメの羽根の色の中にあって、カフェオレのカップの乾いた泡の悲しさの中にある。毎日毎日、あらゆる種類の世界の終わりを探している。そうやって歩いていると、木の葉のひといろひといろがどうしようもなく愛しく感じられて、もうそれこそ泣きたいの泣きたくないのって。もちろん、やがてこの日々にも終わりが来るので、それを思うと余計切ない。

あのときの「はじめて」はもう二度と味わえないけれど、きっとまた知らなかった新しい気持ちの扉を開くことができるだろう。

橋を渡る人々

自分自身が選んで過ごした時間は、どんなものだとしてもかけがえのない財産だ。「旅とわたし」アドベントカレンダーの記事を書くために自分が過ごした時間を振り返り、それを実感している。

きっとまた私は、何度でも旅に出るのだろう。


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