蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:好きな旅の景色

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の25日目です。

私はいつでも旅の途中にいるような気がする。旅の話だけでアドベントカレンダーを書いてきて、余計にそう思うようになった。

まるで停泊する船のように、今いる場所に留まっている。今いる場所は心地よいけれど、どうしても旅に出たくなってしまう。旅が終われば、帰るべき場所にまた帰る。ずっとそれを繰り返して生きてゆくのだろう。

旅は一期一会だ。思えば去年のアドベントカレンダーで書いたお茶も、一期一会を楽しむ趣味だ。一期一会の営みをどのような形で味わうのか、それこそが人生の愉悦。これからもたくさんの一期一会に出会いたい。

一期一会の瞬間瞬間こそが、私の好きな旅の景色だ。そこに吹く風、空の色、流れる水の音。自然も人も、いっときたりとも同じ姿をしていない。だからこそ愛しい。

いろいろな場所を歩いてきた

先日紹介したパリ滞在時の手記にこんな内容がある。

例えばひとりが楽しいとき、一日の終わりの景色は美しくて、沈む夕陽をいつまでもどこまでも逃さず捕らえていたいと思う。

けれどひとりでいると胸の中がざわめく時もある。そんな時、そんな時は一日の終わりが本物の終わりに見える。もう二度と巡ってこないものを追いかけるような切なさが募って、だったら追いかけないようにしようって思う。手放してしまえば、こんなに楽なことはない。

そして夕陽を見送って、手放した時の気持ちそのもので泣くのだろう。たぶん、そういうことなのだろう。

今はこんなふうに思うことはない。帰る場所があって、一緒に旅をする人がいる。あの頃には見ることができなかった景色を、たくさんたくさん見ることができている。年齢を重ねてからのほうが、ぜいたくだと思う時間が増えてきた。

両の脚と丈夫な靴で、どこへでも行く。昔は旅に出るときに同じスニーカーしか履かない験担ぎをしていた時期があったなぁ。記事を書くために写真を見返してきた中で、微笑ましく思い出したことのひとつだ。そんなふうに思い出したことがもっとたくさんあって、このアドベントカレンダーを書くこと自体も旅のような時間だった。

これからも私はいつだって自由。動けなくなるその日まで、私の旅はずっとずっと続く。終わらない旅を、めいっぱい楽しもう。


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