このエントリは『お茶とわたし Advent Calendar 2015』の23日目です。
茶器は欠けやすい。気を付けていてもほんのちょっとのことで欠いてしまってガッカリしたりする。マイ主力茶壺である林國順氏作の紫砂壺も、実は注ぎ口の裏側が少し欠けている。普通に使っている分には気付かれない程度の欠けかもしれないが、欠いた時にはそりゃもう気落ちしたものだ。
しかし、そのまま使っているうちに、欠けの部分が「自分のものである」という証左に思えてきて、急激に愛しくなってきた。私との関係性の中で記された歴史のような、そんな気分である。
もうひとつ、茶通さん閉店時に購入し、里子として持ち帰ってきた茶壺。これは私のところに来る前から蓋のふちの部分がほんの少しだけ欠けている。この茶壺は私の知らない時代を過ごしていたのだなぁと思えるその欠けは、それはそれで愛おしい。
他にも、修復不能なほど壊れてしまった飲杯や聞香杯もある(それは主に我が家の猫達によってはかなくも破壊されたものたちなのだが...)。幸い高価なものを壊されたことはまだないが、形あるものいつかは壊れる。形あるうちは思いっきり愛でなくてはなぁと感じる。
いつかその役目を終えて形がなくなる時、きっと私はこれらひとつひとつと過ごした時間を懐かしく振り返る。モノに命はない。けれど、モノと共にあった思い出は、生きているのだと思う。