祖母が存命だった頃、この季節には必ずちまきを作ってくれたものだった。祖母自身の大好物でもあった。子どもの頃もたまに手伝うことはあったが、ちゃんと作り方を覚えていなかったので、今年はちまき結いを母に教えてもらいながら、一緒に作った。
我が家のちまきは、いわゆる三角ちまき。生のもち米を笹の葉で巻き、藺草で結び、茹で、吊るして干す。レシピとしては大変シンプル。シンプルなレシピを「我が家のちまき」という絶妙の加減に落とし込むには、コツやタイミングが要る。それは家族と話しながら作ることによってのみ得られる繊細な知見だ。
笹の葉という大きさや形や厚みにばらつきのある素材は、組み合わせていい感じの形にするのが思いのほか難しい。藺草も同様に、結ぶための力のかけかたに工夫が要る。一筋縄ではいかない天然の素材を扱うおもしろさは格別。
また、長年生きていると、知らず知らずのうちに自分の癖というができているようで、気がつくと手癖で不可思議な動きをしてしまっていたり、非効率なやりかたを選んでしまっていたり、気付かされることがたくさんある。これもまたおもしろい。
悪戦苦闘しているうちに、なんとなくコツを掴んでくるのだが、コツを掴んでくる頃は材料がなくなってくる頃でもある。ああでもないこうでもないと笑いながら手を動かしいるうちに、あっという間に50個ほどのちまきを結い終わってしまった。
やりきった感に満足しながら、工程ひとつひとつを振り返り分解していくと、何もかもが理にかなっていることに驚かされる。ちまきを茹でたあとに干すための藺草を束ねかた、食べるときに簡単に解くための結びかた。本当の意味で素材を活かすというのは、こういうことなのだろう。
茹で上がったあとの笹は鮮やかだった色が抜け、渋い風合いになる。巻いたばかりの頃は目立った巻きや結いの粗さも、できあがってみれば単なる個性にしか見えない。もちろん中には明確な失敗もあるが、基本的には結果オーライ。
もち米100%なので、どんなふうにでも食べられる。とはいえ、我が家のある地域ではきな粉で食べるのが基本。昔はきな粉と砂糖の割合1対1なんて話も聞いたが、我が家では甘さ控えめが好み。隠し味の塩は忘れないほうがいい。あるとないとで後味が全く違うから。
毎日毎日ていねいな暮らしなんて目指してないし、伝統を残さなきゃみたいな義務感があるわけでもない。でも、節目や季節の折に手を動かす楽しみはあったほうがいい。ときどき立ち止まる口実があるってだけで、それは幸福なことだなって思う。
何より、作り継がれてきたものには、いろいろな知恵が詰まっている。選ばれた素材のマッチングとフィット感、妥当性。工夫され、盛り込まれ、削ぎ落とされ、洗練されたプロセス。手を動かしているだけで、新しいものを学ぶ以上に腑に落ちるものが多い。
手仕事が好きな理由はそこにあるのかもしれないな。