蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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2021年、陰陽併せ呑んで前に進む

大変な1年だった、と言ってしまうのは容易い。また、自分は言うほど大変だったろうか? という気持ちも多分にある。それは自分が恵まれた状況下にいることを自覚し理解しているからであり、世の中が大変でなかったと言うつもりはない。

自分のエネルギーの流れにブレーキをかけ続けた2019年を経て、2020年はどうだったかといえば、自分の中のいろんな感性が緩やかに摩耗していった1年だったと思う。手放したくない最後のひと握りを常に懸命に守っているような。

怒りがエネルギーの源だった若い頃と比べれば、何にでも怒りを覚えるほど尖りもしなくなった。弾けるような衝動はまだまだありあまるほどに抱えているけれど、限られた人にしか見せなくなった。感性の摩耗は、前に進むためのエネルギーを弱らせる。

夜明けの東京

何であっても誰であっても、前に進む私の邪魔をしないでほしい。ただでさえ前に進むエネルギーが枯渇しがちな今、そんな気持ちだけがある。

自分がやろうとしていることの障害になるものすべてに対して、強い嫌悪の気持ちがある。でもそれは前に進むためには必要な原動力で、怒りを社会的にコントロールした結果が嫌悪という感情として錬成される。欲しいのは怒りなのに、怒りの直接消費は許されない。

本当は心のままに怒りたい。けれど怒りを振りまくことでよい方向に変わった試しなんかない。振りまかずに己のうちに留めることで、ただひたすらに嫌悪感が生成されていく。怒りを爆発させずに嫌悪として溜め込むことは、それはそれで努力としての自浄作用であるのだから、いずれ解毒する必要はあれど、今はこれでいい。これもひとつの選択だ。

たとえ何があっても、誰かのせいにはしたくないし、しない。どんなことがあっても、それは自分が考えたり動いたりした結果なのだ。環境は変えられない。自分が成したことだけが、自分に返ってくる。

自分が自分に課すことを、誰かに求めようとは思わない。自分に課すこととはまったく別のところで、できるだけ他人の手助けもしたいと思う。手助けをしたい気持ちも本心なら、必要以上に期待しないでほしいというのも本心だ。

特にプランもなく思いつくままに書き連ねたら、意外とネガティブな雰囲気になってしまったけれど、バカみたいに明るい2020年だったとは言えないし、2021年もおそらくそうだろう。陰陽併せ呑んでニュートラルでいるには、いささか陰が強い。そういう空気感を記録しておくのも、必要なことなのかもしれない。

誰かと一緒に仕事をしたり、誰かと一緒に何かを作るためには、相手のエネルギーを奪ってはいけない、と強く思う。だから私は戒める。自分が常にエネルギーを分け与えられる側の人間でいられるように、自分の中の陰陽をチューニングする。

誰にとってもヘビーな年明けだけれど、それぞれの人生をそれぞれがんばりましょうという気持ち。誰のせいにもしない・されない。そんな毎日を望みます。

いろいろありますが、2021年もよろしくお願いします。みんながんばろうね。

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