蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

20170509013806

まるで同じ人間ではないかのように

この日記としてのブログにも空白期間ができてしまった。なんとなくまたゆるゆると書きつけていきたいと思うも、なんとなく腰が重い。それでもまたはじめてみなければ、ずっと再開することはない。

なので、特にトピックがあるわけではないが、なんとなくこのタイミングでひとつ書いてみようと思った。

新しく手に入れたものをなかったことにはできない

ここ数年、これまでとは違う生き方を強いられ、想像以上にそれに適応し、自分なりに夢中になれる在り方を見つけ、充実した時間を得るようになった。しかし、なんとなく社会が失った何かを取り戻そうとしていく過程の中で、私が新しく得たものとコンフリクトする状況も生まれるようにもなってきた。

冗談じゃない、と思う。新しく手に入れたものは、もうすでに私にとってはすべて、全部が全部「なくてはならない日常」だ。元に戻るからはい手放しましょうね〜なんてできるわけがない。普通に冗談じゃない、と思っている。

もともと持っていたものを捨てることはできない

おもしろいと思えることを手に入れた一方で、かつて寝食を忘れるほどおもしろいと思っていたことになんの魅力も覚えなくなった、という現実もある。そして当たり前であるが、それはそれで捨てられないのだ。

たとえ魅力が色褪せてしまったとしても、大事なこととして守っていかなければならないことがある。難儀なことではあるが、大事なものは増えてゆく。さらに難儀なことに、大事であるからといって倦まない保証はない。

何かを抱えること、守ることというのは、そういうことの繰り返しなんだと思う。

変化しようがすまいが、私はわたし

大変な一時代を乗り越えてきた今の私は、あの頃と同じ人間ではない。同じ人間だけれど、同じ人間ではないのだ。すべての人間にはライフステージの変化というものがあるだろう。私のこれも同じことだ。どんなタイミングで私のライフステージが変化しようが、それは私の自由だ。

だからいいのだ。あれもこれもやっていくのだ。あの頃と同じであることを私に強いないでほしい。私はあの頃とはまるで同じ人間ではないかのように生きるのだ。私にはそのように私の人生を生きる権利がある。そんな気持ちでやっていきます。

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