去年の話をしたい。
この半年ほどCOVID-19の混乱でいろいろなことが変わってしまったけれど、世界的に混乱したこの時期を過ごすにあたって、去年一昨年の自分の状態が大きく影響した。そういうことは未来の自分のために書き残しておいたほうがいいと、なんとなく思う。
だからこれから、去年の話をする。
去年の夏前、私はある種の喪失感と向き合って生きている最中だった。あの頃は自分の心ごと何かでくるんで、心の中にある冷蔵庫に入れている感覚だった。一昨年に祖母を亡くしてから、空っぽの喪失感と行き場のないエネルギーのバランスをずっと探していた。バランスを取ろうとしてみてもどうにもならないもの、持て余すものは、とにかく何も考えずに冷蔵庫に入れる。そんな感じだった。
バランスを取るために、身体のコンディションよりも心のコンディションを優先した時期でもあった。自分の内側のことだけ考えて物事を判断しようと決めて、それ以外のことはとてもシビアに遠ざけることにしていた。MPを守るためにはHPが常にゼロでも構わないと割り切っていた。
自分のMPを削るものを注意深く遠ざけることに神経を配って生きていたので、気が付くと遠ざけたいものはあらかた遠ざけ終わっていた。どうしても遠ざけきれないいくつかの物事は残されたけれど、扱えそうなものから順に冷蔵庫から取り出せるくらいにはなっていた。
なんとか持て余さずに自分の心を扱えるようになったけれど、冷蔵庫から取り出しても温まらないものが存在した。つめたいものには興味が持てず、触りたくないなと思った。もしかして要らないものなのかもしれないな、と思って捨ててみたら、捨てたことによる影響は何もないように感じた。
自分に対していい影響もないのに、重いだけのもの。そんなものは捨ててしまえばいい。そうやって、いくつかのものを捨てたら軽くなった。
COVID-19の気配がしはじめたのは、そんな状態に慣れた頃だった。しばらくして日本も本格的な混乱期に入るのだけれど、その話はまた別の話だ。COVID-19の混乱期を迎える前に、私の心の中に冷蔵庫ができあがっていたこと。今語るべきはそれだけだ。
この冷蔵庫の存在が、私にとっていいものなのか悪いものなのかさえ、まだわからない。けれど、きっとこの後の人生に何度も登場するアイテムになるんじゃないかなという予感がある。そのことを書き残しておきたかった。
心の冷蔵庫は、まだどっしりとここにある。