蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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2020年、空っぽを見つめた先に

この1、2年はずっと失ったものの大きさに向き合っていた。抱え続ける喪失感を生き急ぐような時間に変えて、自分の中のエネルギーをコントロールすることだけ考えていた。

でもたぶん外からはあんまり変わらないように見えたと思う。すべては自分の中だけで起こっていた。そういう自分の状態については、いまだにあんまりうまく言えない。

2018年は喪失感と向き合うことだけで精いっぱいで、エネルギーがあるのかもないのかもわからない感じだった。自分の中の空っぽな領域はとても広大で、しかしそれを埋めようという気持ちもなかった。ただそれを見つめて生きていた。

2019年は空っぽの領域と行き場のないエネルギーが同居していて、いかにコントロールするかに集中しなければならなかった。自分が本来持っているエネルギーは喪失感などお構いなしに溢れ、行き場をなくしたエネルギーは気を付けていないとどこかで爆発しそうだった。

不動尊のお地蔵様

自分の中のエネルギーの流れをこんなに(嫌でも)意識した年は、いまだかつてない。ずっとどこかでブレーキをかけている自覚がある。ブレーキをかけているぶん、別のところでバランスを取っている。バランスを取るというのは自分の性分とは違うなって感じているけれど、必要に迫られてしかたなく取っている。

水面下は激流だけれど、表面的には穏やかでもある。年始のお参りでも、今年は妙に地蔵菩薩に心惹かれた。自分のするべきことが無意識下でわかっているからなのかもしれない。

とはいえ、この先の自分がどうなっていくんだろうっていうのが、まだちゃんとは見えてない。少しずつ小さくなる空っぽな領域だった場所に、何が満たされていくべきなのかがわからない。わからないから結局生き急ぐ。自分にとって大事なことは、自分の中にしかない。

2020年は空っぽを見つめた先の何かが待ってる年なんだと思う。探しに行かなくちゃ、とは思うけれど、このままだとたぶん追い越してしまいそうな気がする。それでもいいかな、と思う。本当はもうちょっと速く走っていきたい。

こんなふうに書いてはみたけれど、悪い状態ではないし、むしろ得たものは大きかった。人生の何周目かがはじまったんだなっていう気持ち。外から見て何も変わらないだろうなっていうのも同じ。

つまり、相変わらずといえば相変わらずです。今年もどうぞよろしくお願いします。

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